南都六宗の寺院 – 南都六宗

三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の六宗。この六宗は仏教哲学の研究団体であり、後世の宗派と異なり、一つの寺院の中にいくつもの宗(衆)があり、兼学も行なわれた。興福寺は法相に、東大寺は華厳に、唐招提寺は律に重きをおくという違いがあった

南都六宗は仏教研究の道場です。今日の寺院と異なり「檀家なし」「葬式はしない」という共通性があります。 南都六宗は学問の道場としての色彩が強く、一人の僧が2宗以上の兼学をし、複数の宗派を兼ねるのはごく普通のことでした。

奈良時代、南都七大寺という国家仏教の活動拠点が整ったことで仏教の学問的な探求が盛んになりました。 今回は奈良時代における代表的な仏教学派「南都六宗の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)」につい

南都六宗とは、奈良時代の仏教の代表的な六つの宗派をさします。 南都は奈良の平城京のことです。これに対して京都の平安京は北都と呼ばれていました。 六宗はろくしゅうとも読み、宗は衆、学僧のグループ、学派という意味です。

「宗」ははじめは「衆」と書いており、これらは学派(研究グループ)であって宗派ではない、大学の学科のようなものだった。今日の一寺一宗派とは違い、各寺院に2、3宗が同居しており南都六宗の覚

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 – 律宗の用語解説 – 南都六宗の一つ。戒律の研究実践を解脱の因とする宗派。中国,唐の道宣によって成立。天平勝宝6 (754) 年に道宣の弟子,恒景から受戒した鑑真が来日し,東大寺に戒壇院を設けた。次いで唐招提寺を建立して第1祖となり,また下野

南都七大寺は、経営を維持するために封戸、荘地の制度を整えました。 これらの寺院をベースに発達した南都六宗は、律令体制のもと、国家の庇護を受け学僧が仏教の研究を行う学派的な要素の強いもので

南都六宗は研究の宗教だといわれますが、全国にお寺がないのは教義上の理由からですか? また教義の特色を教えてください。 歴史の話しになりますが、奈良時代の全盛期に、聖武天皇は、中央集権国家を樹立するため、平

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法隆寺は斑鳩に所在しているため、この法隆寺の代わりに唐招提寺を入れて南都七大寺とする場合もある。 また、歴史的経緯(四大寺から数を増やしていったとする見地)からして西大寺の代わりに由緒ある川原寺(現在の弘福寺)を加える場合もある。

日本仏教の13宗派

特に朝廷の許可を得て出家した僧(官僧)によって、仏教の教理の研究やさまざまな儀式が行われた。宗教的な実践としては呪術的な祈祷が中心であり、遣唐使によって唐から伝えられた学問としての仏教(南都六宗)が奈良の各寺院で流行した。

南都六宗 南都六宗の概要 ナビゲーションに移動検索に移動この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年8月)三論宗(さんろんしゅう、中論・十二

なんとろくしゅう/南都六宗. 奈良時代に成立した、三論・ 成実 じょうじつ ・法相・ 俱舎 くしゃ ・律・華厳の六つの宗。 国家仏教として公認された宗である。 「なんとりくしゅう」ともいう。華厳宗以外の五宗が先に成立し、八世紀中頃までには六宗の形になったとされる。

真言律宗の寺院は西大寺、宝山寺、岩船寺、浄瑠璃寺、海龍王寺、不退寺、般若寺、白毫寺、元興寺など 。 今回はここまで~ なるほど、南都六宗の栄枯盛衰により法相宗と華厳宗と律宗が残り、その分かれとして聖徳宗や真言律宗があるんだな。

ここの宗派は真言律宗。真言宗の宗派の1つですが、名前から容易に想像がつくように、元々は南都六宗のうちの律宗の寺院です。と言うか、無量寺はこの国分寺から三論宗が分派して建立された寺院だそう

南都六宗の「法相宗」「律宗」「華厳宗」は、葬儀を行わない仏教宗派です。これら宗派は仏法・経典の研究を目的としているので、信徒は他の宗派に葬儀を頼むことも。仏教哲学や戒律を重んじる、南都六宗それぞれの特徴や歴史をご紹介いたします。

南都六宗(なんとろくしゅう)とは。意味や解説、類語。奈良時代における仏教の代表的な六つの宗派。三論宗・成実 (じょうじつ) 宗・法相 (ほっそう) 宗・倶舎 (くしゃ) 宗・律宗・華厳宗の六宗。後世の宗派と異なり、経論の研究学派としての性格をもつ。

先日までは天台宗と真言宗についてみてきましたが、天台宗と真言宗が開かれる前から仏教は日本にありました。その代表が奈良の寺院です。総称して「南都六宗(なんとろくしゅう/なんとりくしゅう)」と呼ばれます。

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(この天台宗から沢山の他宗派の開祖が生まれた。) ・密教と顕教を同一に扱う点で真言宗と大きく異なる。 ・最澄は南都六宗の寺院と価値観が合わなかったと言われており、そのため奈良には天台宗寺院が

南都七大寺のトップバッターに大安寺(だいあんじ)を取り上げたのは、若き日の空海の学んだ大学が、実は、このお寺だったためです。 奈良の神社・仏閣は、東大寺に代表されるように巨大なものが多い中にあって、大安寺(だいあんじ)は、こじんまりとしたお寺、かつては国の筆頭寺院

桓武天皇による遷都の狙いは、南都(平城京)の仏教勢力抑制にありました。僧玄昉・道鏡、特に道鏡は国費を寺院造営に大量投入して、仏教界の腐敗を招いた。それゆえ桓武は仏教界改革のために、南都の仏教に代わる新たな仏教の登場を期待しました。

華厳宗 – 開祖:良弁・審祥、寺院:東大寺 律宗 – 開祖:鑑真、寺院:唐招提寺 南都六宗自体は、宗派というより互いに教義を学び合う学派の役割が強く、東大寺を中心に興隆し教学を学び合った。中世に入り、凝然、良遍や叡尊らにより、鎌倉仏教の展開

(この天台宗から沢山の他宗派の開祖が生まれた。) ・密教と顕教を同一に扱う点で真言宗と大きく異なる。 ・最澄は南都六宗の寺院と価値観が合わなかったと言われており、そのため奈良には天台宗寺院が少ない。 伝来(Introduction):806年

南都六宗は一切衆生の救済のための仮の教えであり、本家本元の教えはやはり一切衆生であるから、南都六宗の教えは天台宗の教えの中にすべて包含されている。だから、天台宗の方が正しいし優れているのだ!! ということを主張したわけです。

南都六宗(なんとろくしゅう)とは、奈良時代、平城京を中心に栄えた仏教の6つの宗派の総称で、奈良仏教ともいいます。 平安時代以降平安京を中心に栄えた「平安二宗」(天台宗・真言宗)に対する呼び名として付けられました。

栃木県下野市にある龍興寺は南都六宗、現在は真言宗智山派の寺院です。 JR宇都宮線自治医大駅よりタクシーで約5分、お車でお越しの場合は国道新4号線、道の駅しもつけの交差点より約2kmと交通の便も

京都には数多くの寺院があります。お寺の由来や歴史など、調べてみるとなかなか興味深いものです。そこで今回は京都のお寺を宗派別に分けてみました。中々普段気にすることのない仏教の宗派。有名なあのお寺が意外な宗派だったりします。

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法相宗や律宗と並ぶ、南都六宗のひとつです。 開祖は杜順(とじゅん)ですが、日本においては第3祖法蔵門下の審祥(しんしょう)により伝わる →華厳宗の特徴. 時間と空間を超越した仏といわれる毘盧遮那仏(東大寺の大仏)を本尊としています。

栃木県下野市にある龍興寺は南都六宗、現在は真言宗智山派の寺院です。 JR宇都宮線自治医大駅よりタクシーで約5分、お車でお越しの場合は国道新4号線、道の駅しもつけの交差点より約2kmと交通の便も

三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗の 六つで南都六宗と呼ぶ。当時の寺院は現在と違って特定の宗派に属することはなく、一つの寺院で種々の宗派僧が学んでいた。

日本の寺院の歴史は、仏教が五三八年に伝来したことから始まる。この時期に生まれたのが三論宗などの「南都六宗」だ。南都六宗には次のようなものがある。 ・三論宗随代に大成され、六二五年に高句麗僧慧灌によって日本に伝えられた。

南都六宗 経典の学問的研究を重視した、学派仏教として奈良時代に栄えた仏教。 「 三論宗 」「 成実宗 」「 倶舎宗 」「 法相宗 」「 華厳宗 」「 律宗 」の六宗派。

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法相宗や律宗と並ぶ、南都六宗のひとつです。 開祖は杜順(とじゅん)ですが、日本においては第3祖法蔵門下の審祥(しんしょう)により伝わる →華厳宗の特徴. 時間と空間を超越した仏といわれる毘盧遮那仏(東大寺の大仏)を本尊としています。

最澄が伝えた仏教は、当時日本で主流であった学問としての理論的な仏教とは異なるもので、空海の真言宗と合わせて平安二宗(天台宗、真言宗)とも呼ばれ、南都六宗はこれに対する呼び名です。

成実宗 – 開祖:道蔵、寺院:元興寺・大安寺 ; 華厳宗 – 開祖:良弁・審祥、寺院:東大寺 ; 律宗 – 開祖:鑑真、寺院:唐招提寺 . 南都六宗自体は、宗派というより互いに教義を学び合う学派の役割が強く、 東大寺を中心に興隆し教学を学び合い、 中世に

南都六宗は一切衆生の救済のための仮の教えであり、本家本元の教えはやはり一切衆生であるから、南都六宗の教えは天台宗の教えの中にすべて包含されている。だから、天台宗の方が正しいし優れているのだ!! ということを主張したわけです。

南都六宗であっても天皇の意思に背けないのは当然です。唯識論や倶舎論などで論陣を張り議論なれした南都六宗が、天台教学や法華一乗の論理に屈することなど考えられません。

今日の一寺一宗派とは違い、各寺院に2、3宗が同居しており、鎌倉新仏教のような対立はなかった。これが平安時代になると一寺一宗となり宗派化していった。2.奈良時代の初期は三論宗(7C半)が盛んだった。三つの書を研究する宗南都六宗

【倶舎宗】 倶舎宗は南都六宗にかぞえられるけれど、別に一学派の成立をみるに至らず、法相宗の附宗たるにすぎない。教学的にも法相宗の予備学問であるので、共に道昭、智通、智達等によって伝えられたものとみられる。

古代インドに興り、中国・朝鮮を経て日本に伝わった仏教は、日本独自の思想が加わりながら多くの宗派が生まれ、インドとも中国とも異なる独自の仏教となりました。 ここでは「日本の仏教」が生まれた歴史を解説し、伝統のある「13の宗派」について、その特徴や違いを解説します。

律宗 – 開祖:鑑真、寺院:唐招提寺; 南都六宗自体は、宗派というより互いに教義を学び合う学派の役割が強く、東大寺を中心に興隆し教学を学び合った。中世に入り、凝然、良遍や叡尊らにより、鎌倉仏教の展開に大きく寄与した。 関連文献 . 凝然 『八宗

三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗の 六つで南都六宗と呼ぶ。当時の寺院は現在と違って特定の宗派に属することはなく、一つの寺院で種々の宗派僧が学んでいた。

南都六宗の中身を6つ挙げて説明してください 法相宗ー開祖:道昭、寺院:興福寺・薬師寺具舎宗ー開祖:道昭、寺院:東大寺・興福寺三論宗ー開祖:恵灌、寺院:東大寺南院成実宗ー開祖:道蔵、寺院:元興寺・大安寺華厳宗ー

また真言宗の本山高野山がひかえる南部地域には真言宗寺院が多くあります。 これに対して全国的に多い曹洞宗寺院が少なく、南都六宗の律宗・華厳宗・法相宗寺院があることが特徴的です。 奈良県の神社 大和国一之宮は大神神社です。

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華厳宗を含む南都六宗の最大の特徴は、葬儀や祭礼などの宗教儀礼を一切行わないということです。 なぜなら南都六宗は経典の研究を目的とし、学問として生まれた宗派だからです。 華厳宗を含む南都六宗の教えの中には葬儀儀礼に関わるものはありません。

また、南都奈良の法相に関しては華厳宗の寺院へと移行することを余儀なくされ断絶したため、日本の法相宗として知られているのは本来末寺であった清水寺の北法相宗です。

法相宗は南都六宗のなかで最も早く日本に伝わり、元興寺を中心に隆盛を誇りました。そのためここで広まった法相宗を「元興寺伝」と呼びます。その後、ほかの僧が中国で法相宗を学び、元興寺とは別の興福寺でそれを広めました。こちらを「興福寺伝

奈良時代には、遣唐使らにより中国における最新の仏教思想が伝えられ、奈良の大寺院には南都六宗が形成され、仏教理論研究がされた。その中でも著名なものとして渡来僧鑑真がもたらした律宗があげら

奈良仏教は、南都六宗( 法相宗 ( ほっそうしゅう ) 、 三論宗 ( さんろんしゅう ) 、 成実宗 ( じょうじつしゅう ) 、 倶舎宗 ( くしゃしゅう ) 、 律宗 ( りっしゅう ) 、 華厳宗 ( けごんしゅう ) )と呼ばれる学問仏教、学派というべきものでした。

南都諸大寺では各寺院に数宗が併存し、他宗を兼学したり、他寺で学んだりすることは自由であった。東大寺をはじめとして、大安寺や薬師寺なども六宗兼学の大寺である。

67.南都六宗について: 南都六宗は、 はじめは「衆」と書いていたように、 宗派として独立したものではなく、仏教の教義を相互に学び合う学派的存在でした。 奈良時代の初期は三論宗が盛んであり、 東大寺を中心に戒律がまもられ、学問が発達していくに従い 法相宗が栄えていきました。

南都六宗系の寺院や団体、研究サイトを掲載します。南都六宗は奈良時代の国家仏教を代表する公認学派(スクール)で、三論宗・法相宗・華厳宗・律宗・成実宗(三論宗に付属)・倶舎宗(法相宗に付属)の6つを数えます。

南都六宗. 本来、南都は奈良時代の都・平城京であるが、聖武天皇が頼ったのは鎮護国家をめざす国家仏教六宗であり、南都六宗と呼ばれた。平安京の二宗(真言宗、天台宗)と対比するため、後世そう名付

法相宗とは. 法相宗、または唯識宗、応理円実宗[おうりえんじつしゅう]、慈恩宗[じおんしゅう]とも呼ばれて、南都六宗[なんとりくしゅう]の一つです。

そのため、唯識宗・慈恩宗とも呼ばれる。日本へも南都六宗の一つとして、遣唐使での入唐求法僧侶により数次にわたって伝えられた。 653年(白雉4年) 道昭が入唐留学して玄奘に師事し、帰国後飛鳥法興寺でこれを広めた。

興福寺は、奈良県奈良市登大路町にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺である。南円堂は西国三十三箇所第9番札所である。